Aristoteles, Metaphysica
第12巻(Λ)
存在一般、第一原理、神々に関する追加の注釈。
アリストテレスは、物質を3つのタイプに区別している。すなわち、感覚可能で滅びゆくもの(4つの元素)は、本質、質、量、場所の4つの変化を受ける。感
覚可能で永遠のもの(エーテル)は、場所の変化のみを受ける。そして、不動のもの(神)である。10
本書には、アリストテレスの有名な「第一不動動者」の記述が含まれている。それは、永遠で不活性であり、感覚的なものとは別であり、分割不可能で不変の物
質である。彼は、時間は永遠であり、したがって永遠の運動が存在しなければならないと主張している。このような運動の原因は、非物質的で永遠の物質、純粋
な作用と純粋な形式でなければならない。第一の動者は、最終原因として「愛の対象」または「望ましいもの」として動く(1072a 25, b
5)。動かざる動者の生命は、自己反省的な思考であり、この永遠の自己反省から自らをそらす可能性はない。なぜなら、思考こそが最善だからである
(1072b, 1074b 15-1075a)。
生命も神に属する。思考の現実が生命であり、神こそがその現実であるからだ。そして、神の自己充足的な現実は、至高の善であり永遠の生命である。だからこ
そ、神は生きた永遠の至高の善なる存在であると言うのだ。生命と永続性は、絶え間なく永遠に神に属する。なぜなら、これは神なのだから。
形而上学、1072b
アリストテレスの『形而上学』は、全14巻のものであるが、全体としてのまとまりはない。それは、それぞれ別の時期に書かれた論文・講義草稿・ 講義録の類の集成だからである。ただし、 第1巻(Α)- 第3巻(Β)- 第4巻(Γ)- 第6巻(Ε) 第7巻(Ζ)- 第8巻(Η)- 第9巻(Θ) 第10巻(Ι)- 第13巻(Μ)- 第14巻(Ν) の3群は、それぞれ内容的にまとまりが認められ、紀元前2世紀末の著作目録の記述から、元来この書物はこの10巻構成でまとめられ、 第2巻(α)、第5巻(Δ)、第11巻(Κ)、第12巻(Λ) の4巻は、別の独立した著作が後から補足的に追加・挿入されたものだと考えられる[5]。
リンク
かいせつ
第12巻 - 不動の動者
第12巻(Λ) - 不動の動者(全10章)
第1章 - 我々の研究対象は実体である。実体は他の全てに優先する。実体の三種 --- 「消滅的・感覚的実体」「永遠的・感覚的実体」「永遠的・不動・非感覚的な実体」。
第2章 - 転化にはその原理として「形相」とその「欠除態」の他に「質料」が必要である。
第3章 - 最後の「質料」や「形相」には生成過程は存しない。各々の実体は同じ名前のものから生成する。生成の四種 --- 「技術」「自然」「偶運」「自己偶発」。実体の三義 --- 「質料」「形相」「結合物」。事物の「始動因」はその事物より先に存在しうるがその「形相」は同時的に存在する。人間のような自然的な事物以外はいかなる 事物の「形相」もその事物より先には存在しない。
第4章 - 事物の構成要素はその事物が異なるに応じて「数」的(個別的)には異なるが、その「種」においては同じである。それらは全て三種の構成要素「形相」「欠除 態」「質料」を持ち、最近及び最遠の外的な始動因(動者)を持つ。
第5章 - 事物の「可能態」と「現実態」も全ての事物に共通の原理であるが、その仕方は場合が異なるに応じて異なる。
第6章 - 「永遠的・不動・非感覚的な実体」について、こうした不動な実体は存在すべき。永遠的な運動のための「永遠的な動者」が存在すべきであり、この動車はその 本質に「可能態」を含まない全くの「現実態」であらねばならない。
第7章 - 永遠的な運動を起こす「第一の永遠的な動者」は、全くの「現実態」であるから、自らは全くの「不変不動な実体」であり、あたかも思惟・欲求の対象が思惟 者・欲求者を動かすように、自らは動かないで他の全てを動かす。この「第一の不動の動者」に世界の全ては依存する。これは「善」であり、「生命」であり、 不断に自らを思惟・観照している「純粋理性」であり、「神」である。その観照の生活は全く「完全」であり「快」である。
第8章 - 諸天体の運行を司る多くの天球の諸運動のためには、「第一の天球」を動かす「第一の不動の動者」(神)の他に、それだけ多くの「不動の動者」が存在すべき である。エウドクソス・カリッポスの諸天球の設定。アリストテレス自らの設定。その数は「55」または「47」であろう。「第一の不動の動者」はただ一つ であり、世界も一つである。
第9章 - 「神の理性」についての問題。その思惟対象はそれ自らであらねばならない。「神の思惟」は「思惟の思惟」である。非質料的・非物質的なものにおいては思惟 と思惟対象は同じものである。
第10章 -
「善」は世界の諸事物に対して何であるか。それは「全てに内在する秩序の原理」であると共に、「それらを超越する統一的支配の原理」である。自然哲学者た
ちの諸見解と難点。
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