Aristoteles, Metaphysica
第9巻(Θ)
行為と潜在能力の概念を定義しようとする。第1章から第5章では潜在能力について論じている。この用語は、変化する可能性(δύναμις、
dunamis)を示す。潜在能力とは、「何か他のもの、あるいは何か他のものとしてのそれ自身へと変化する原理」(1046a9)である。第6章では、
アリストテレスは現在へと論を進める。
存在とは、物質、質、量という意味で捉えられるだけでなく、潜在的存在、作用的存在、作用との関係における存在もある。
形而上学。第9巻、1、1045b 34-35
アリストテレスは、変化と運動を「潜在的存在から作用的存在への経過」と捉え、原因の作用によるものと考える。運動とは潜在的なものを現実化するプ ロセス であり、その行為は潜在的なものよりも絶対的に優位に立つ。7 運動自体は永遠の潜在的可能性であり、現実化されてしまえば運動は存在しない。8 私たちは観察や「類推」を通じてのみ現実を知ることができる。したがって、「構築するものは構築できるものと同じであり、眠っているものに気づくものは 眠っているものと同じであり、 物質から物質そのものへと分離しているもの」 (1048b1–4) である。現実とは、完成する潜在能力を持っていた何かの完成された状態である。現実と潜在能力の関係は、時間という要素が加わった形で、物質と形の関係と 考えることができる。現実と潜在能力は通時的な区別(時間経過を伴う)であり、形と物質は共時的な区別(同時)である。アリストテレスの『形而上学』は、全14巻のものであるが、全体としてのまとまりはない。それは、それぞれ別の時期に書かれた論文・講義草稿・ 講義録の類の集成だからである。ただし、 第1巻(Α)- 第3巻(Β)- 第4巻(Γ)- 第6巻(Ε) 第7巻(Ζ)- 第8巻(Η)- 第9巻(Θ) 第10巻(Ι)- 第13巻(Μ)- 第14巻(Ν) の3群は、それぞれ内容的にまとまりが認められ、紀元前2世紀末の著作目録の記述から、元来この書物はこの10巻構成でまとめられ、 第2巻(α)、第5巻(Δ)、第11巻(Κ)、第12巻(Λ) の4巻は、別の独立した著作が後から補足的に追加・挿入されたものだと考えられる[5]。
リンク
かいせつ
第9巻 - 可能態・現実態
第9巻(Θ) - 可能態・現実態(全10章)
第1章 -
「デュナミスにおける存在」(可能的存在)と「エネルゲイアにおける存在」(現実的存在)について。まず本来の意味での「デュナミス」すなわち「運動の能
力」としてのそれ。能動的能力と受動的能力。能力と欠除態。
第2章 - 非理性的能力と理性的能力。理性的能力は反対のものどもの両方に関係し得るが非理性的能力は一方的である。
第3章 -
能力(可能性)を否定するメガラ派の逆説に対する反論。次に新たな意味での「デュナミス」、すなわち現実活動・現実態としての「エネルゲイア」に対する可
能力・可能性・可能態としての「デュナミス」について。
第4章 - 無能・不可能・有能・可能などについて。
第5章 - 能力・可能性の獲得方法と、可能性・可能帯が現実化される諸条件について。
第6章 -
「エネルゲイア」に対する「デュナミス」(可能性・可能態)。「エネルゲイア」の二義。すなわち「運動・現実活動」としてのそれと「完了的な現実態」(エ
ンテレケイア)と同義的なそれ。
第7章 - どのような場合に、あるものは他のものの「可能態」であり「質料」であるか。
第8章 -
「現実態」はその説明方式においても、時間的にも、その本質においても、「可能態」より先である。永遠的・必然的な実体は「可能態」において存することな
く永遠的な運動にも単なる「可能性」は存しない。
第9章 - 「善の現実態」は「善の可能態」より優り、「悪の現実態」は「悪の可能態」より劣る。幾何学的定理は「現実化」によって発見される。
第10章 - 真としての存在。非複合体および複合体の真と偽について。
文献
その他の情報
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