はじめによんでください

エクアドル年表[先住民との関係における]

Indigenous peoples and their history of Ecuador

P Bartolo Ushigua, Zapara delegate at the 2nd CONAIE congress[→コナイエ]/ercentage of indigenous population of the Northern South America/

池田光穂

☆ エクアドルの先住民、またはエクアドル先住民(Indigenous peoples in Ecuador or Native Ecuadorians; スペイン語: Ecuatorianos Nativos)は、スペインによるアメリカ大陸植民地化以前にエクアドルに存在した人々のグループである。この言葉には、スペインによる征服時代から現 在に至るまでの子孫も含まれる。エクアドルの人口の7パーセントが先住民族であり、残りの70パーセントは先住民族とヨーロッパ人の混血であるメスティー ソである[3]。

☆ エクアドルの先住民年表——利用資料は(新木 2014:313-317)ほか

1534

キ トでルミニャウイがスペイン軍と戦う。スペイン人によるキト市建設

1563

キ ト王立アウデイエンシア設置

1780

11 月 クスコ地方におけるトゥパック・アマルの蜂起

1781

3 月 アルトペルーにおけるトゥパック・カタリの蜂起

1809

8 月キトで独立宣百

1822

5 月 ピチンチャの戦いでスペイン軍に勝利

1830

5 月 エクアドル共和国成立

1852

9 月 奴隷制廃止

1857

10 月先住民税の廃止

1871

12 月 フェルナンド・ダキレマの反乱

1895

6 月 エロイ・アルファロによる自由主義革命の開始

1929

3 月 憲法で女性参政権を規定

1934

ホ ルヘ・イカサ,『ワシプンゴjを出版

1937

8 月 コムーナ法の公布

1941

7 月 ペルーとの国境紛争

1944

8 月 FEI (エクアドル先住民連盟)結成

1946

ド ローレス・カクアンゴによる二言語学校設立(カヤンベ)

1961

9 月 FCS (シュアール連盟)結成(1964 年に正式承認)

12 月 農地改革を求める先住民の行進

1964

7 月 農地改革法の公布(第一次農地改革の開始)

1967

3 月 ラゴアグリオ油井発見

1968

11 月 FENOC (農民組織全国連盟)結成

1972

2 月 ロドリゲス軍事政権発足

2 月 CEPE (エクアドル国営石油企業)設立

6 月 ECUARUNARI (現エクアドル・キチュア民族連合)結成

8 月 石油輸出の開始

1973

6 月 エクアドル, OPEC 加盟

10 月 農地改革法の公布(第二次農地改革の開始)

1974

9 月 チンボラソ県における警察・軍との対立でラサロ・コンド死亡

1979

8 月 民政移管(ロルドス政権発足),新憲法で非識字層に選挙権付与

OPIP (パスタサ先住民組織)結成

1980

3 月 CISA (南米先住民審議会)設立(事務局はプーノ)

8 月 CONFENIAE (エクアドル・アマゾン地域先住民連合)結成

10 月 CONACNIE (エクアドル先住民調整審議会)設立

11 月FEINE (エクアドル福音派先住民連盟)結成

1984

3 月COICA (アマゾン盆地先住民組織調整組織)設立

1986

11 月 CONAIE (エクアドル先住民連合)結成第1 回大会(キト)

1988

8 月 ボルハ政権発足

11 月 CONAIE 第2 回大会(カニャル)

11 月 DINEIB (異文化間二言語教育局)設置異文化間二言語教育の開始

1989

6 月 ILO (国際労働機関)による第169 号条約の採

1990

3 月 ONHAE (エクアドル・アマゾン・ワオラニ民族組織)結成

5 月 先住民によるサントドミンゴ教会占拠(キト)

6 月 CONAIE 率いる先住民全国蜂起, CONAIE とボルハ政権の直接交渉開始

7 月 OPIP 文書の策定(翌月.政府に提出)

7 月 「先住民の抵抗の500 年」第1 回大陸会議(キト),キト宜言採択

12 月 CONAIE 第3 回大会(グアヤキル),政府との交渉中断を決議

1991

4 月 CONAIE と政府の交渉再開

7 月 第1 回イベロアメリカ先住民サミット(キト)

10 月 「先住民の抵抗の500 年」第2 回大陸会議(ケツァルテナンゴ・グアテマラ)

1992

4 月 OPIP による「生活領域と生活のための行進」,アマゾン先住民の生活領域の合法化

6 月 テキサコ,エクアドルより撤退

8 月 マリアノ・クリカマ,グアモテ郡知事に就任

9 月 FUT (労働者統一戦線)によるゼネスト実施

10 月 「先住民の抵抗の500 年」第3 回大陸会議(マナグア)

10 月 グアテマラのリゴベルタ・メンチュウ,ノーベル平和賞を受賞

11 月 エクアドル, OPEC から脱退

1993

11 月 アマゾン先住民などがニューヨークでテキサコを提訴(国際裁判の開始)

12 月 CONAIE 第4 回大会(プヨ),選挙参加決議政治プロジェクト承認,マカス代表再選

1994

1 月 メキシコでEZLN (サパティスタ民族解放軍)武装蜂起

6 月 農業開発法に反対する先住民の抗議行動「生活のための動員」

CONAIE, 政治プロジェクトを公表

1995

3 月 ペルーとの国境紛争が再燃

6 月 MUPP-NP (パチャクティック運動)結成

7 月 CICA (中米先住民審議会)設立

11 月 国民投票でNo が勝利

1996

1 月 ボリビアでモラレス政権発足

5 月 ルイス・マカスなど国会議員当選,パチャクティック運動の躍進

7 月 大統領選挙でプカラム当選

8 月 ホセ・マリア・カバスカンゴがCONAIE 代表に就任

8 月 アウキ・テイトゥアニャ,コタカチ郡知事に就任

10 月 ラファエル・パンダム,文化民族相に任命

11 月 CONAIE がパンダムを不承認

12 月 CONAIE 第5 回大会(サラグロ).アントニオ・バルガスを代表に選出

1997

2 月 ブカラム大統領が国会により解任,アラルコン臨時大統領が就任

4 月 CONPLADEIN (先住民・アフロ系・民族マイノリティ企画開発審議会)設立

5 月 制憲議会の招集

9 月ニナ・パカリ,国会副議長に選出

9- 10月 CONAIE による「自治と多民族性のための行進」

10 月 CONAIE による全国民衆制憲議会の召集憲法改正案の策定に着手

1998

5 月 エクアドル国会, ILO 第169 号条約を国内批准

6 月 新憲法の発布,国家の多文化・多民族(エスニック)性を規定

8 月 マワ政権発足

10 月 ペルーとの和平合意で国境問題終結

12 月 CONPLADEIN に代わりCODENPE (エクアドル先住民開発審議会)設立

1999

3 月 経済政策に反対する先住民蜂起

8 月 パチャクティック運動の第1 回全国大会(キト)

9 月 DNSPI (先住民厚生局)設置

12 月 CONAIE 第6 回大会(サントドミンゴ),バルガス代表の再選

2000

1 月 マワ大統領によるドル化宣百

1 月 全国民衆議会(キト)など全国各地で民衆議会設置

1 月 先住民と軍人の蜂起でマワ政権崩壊,救国評議会の設置と解散

6 月 先住民開発基金(FODEPI) 設立

8 月 マリオ・コネホ,オタバロ郡知事に就任

9 月 通貨のドル化実施

2001

2 月 先住民蜂起

3 月 先住民によるインガビルカ遺跡の占拠事件

9 月 パチャクティック運動の第2 回全国大会(キト)

10 月 CONAIE の召集による第1 回エクアドル先住民大会(キト)

11 月 第6 回人ロセンサスの実施

CODENPE によるエクアドル先住民地図の作成

2002

11 月 グティエレス候補,決選投票で大統領当選

2003

1 月 グティエレス政権発足,パチャクティック運動の政権参加(パカリとマカスの入閣)

5 月 テキサコ裁判,エクアドルに差し戻し

8 月 パチャクティック運動の政権離脱

9 月 パチャクティック運動の第3 回全国大会(リオバンバ)

2004

8 月 先住民大学(UINPIAW) 設立

12 月 CONAIE の召集による第2 回エクアドル先住民大会(オタバロ)

2005

4 月 グティエレス政権の崩壊(ホラヒドスの反乱),パラシオ臨時政権の成立

8 月 スクンビオス県とオレリャナ県で抗議行動

9 月 パチャクティック運動の第4 回全国大会(アンバト)

2006

5 月 アフロ系住民集団諸権利法の制定

5 月 米国がFTA 交渉を中断

7 月 ICAOI (アンデス先住民組織調整組織)設立(事務局はリマ)

10 月 マカス,大統領選に出馬

11 月 コレア候補決選投票で大統領当選

2007

1 月 コレア政権発足

2 月 対IMF 債務の繰上げ完済

4 月 国民投票で制憲議会の召集を決定

4 月 コレア大統領この頃から「21 世紀の社会主義」を提唱し始める

9 月 制憲議会議員選挙

9 月 国連総会における先住民権利宣言(UN-DRIPs)の採択

10 月 ICONAIE による憲法草案の策定

10 月 コレア政権がITT 鉱区での石油開発の中断を発表

10 月 パチャクティック運動の第5 回全国大会(キト)

11 月 制憲議会発足

11 月 オレリャナ県で抗議行動(ダユマの弾圧事件)

12 月 エクアドル, OPEC 再加盟

2008

1 月 CONAIE の召集による第3 回エクアドル先住民大会(サントドミンゴ)

1 月 グアヤキルで反政府デモ集会

3 月 軍の侵入問題でコロンビアとの外交関係断絶(アンデス危機)

4 月 鉱業指令(Mandato Minero) により鉱業開発プロジェクトを凍結

5 月 南米諸国連合(UNASUR) 設立条約の採択(2011 年3 月発効,事務局キト)

7 月 新憲法草案の国会承認

9 月 国民投票で新憲法を承認

10 月 新憲法制定

2009

1 月 鉱業法の制定

1 月 ボリビアで憲法制定

4 月 大統領選挙でコレア再選(新憲法下での任期は1 回目)

4 月 民衆連帯経済局(IEPS) 設置

4 月 ボリビア共和国ボリビア多民族国へと国名変更

9 月 水資源法と鉱業法に反対する先住民蜂起

11 月 米軍によるマンタ基地の使用協定の期限切れ

11 月 IBune Vivir に向けた国家計画2009-2013 の策定

2010

4 月 水資源法に反対するCONAIE の抗議行動

5 月 パチャクティック運動の第6 回全国大会‘(スクア,モロナ・サンティアゴ県)

6 月 IALBA 首脳会議(オタバロ)に際しCONAIE はコレア政権と対立

8 月 ヤスニーITT イニシアティブで国連環境計画(UNDP) と合意

9 月 コレア大統領の訪日

9 月 警官等による騒擾事件

11 月 第7 回人ロセンサスの実施

11 月 国会がダキレマとレオンを国家の英雄に認定

2011

2 月 ラゴアグリオ高裁がシェブロン裁判で判決(80 億ドルの賠償命令)

3- 4月 CONAIE の召集による第4 回エクアドル先住民大会(プヨ)

5 月 大統領提案による国民投票の実施(10 項目を承認)

2012

2 月 民衆連帯経済監督庁(SEPS) 設置

3 月 コレア政権が中国系企業とミラドル鉱山の開発契約を締結

3 月 CONAIE による「水•生活・尊厳を求める多民族行進」

7 月 米州人権委員会がサラヤク裁判で判決(共同体領域における石油開発で国への賠償命令)

8 月 ロンドンのエクアドル大使館におけるアサンジ(ウィキリークス創設者)亡命事件

2013

2 月 コレア大統領の再選(任期は2017 年まで)

6 月 Bune Vivir に向けた国家計画2013-2017 の策定

7 月 鉱業法改正法の制定

8 月 コレア大統領がヤスニーITT イニシアティブ断念を発表

10 月 国会,第31 鉱区および第43 鉱区(ヤスニーITT 鉱区)の石油採掘が国民の利益であると決議

2013-2015

「2013 年5月に発足した第2次コレア政権は、メディアに対する規制の強化や大統領の三選を禁止する規定の改定を含む憲法改正を進めるなど、より強権的な政治運営 を進めた。一方で、経済を重視し、産業多角化を目指し、海外投資に対する関心を表明するなど、少しずつ開放経済に向けた改革を進めた。2014年後半から の国際的な原油安とドル高を受けた財政の悪化や輸入規制等の対抗措置により国民生活に影響が出た。大統領による相続税改正法案等の国会への提出を契機とし て、労働者、先住民等一部の国民の不満が高まり、2015年6月以降全国各地で抗議活動が継続的に発生した」[出典]

2014

2015

7 月 7月5日から8日にかけて教皇フランシスコのエクアドル訪問[出典]

「同 年、エクアドルは経済減速に見舞われ、国際収支の経常収支赤字と石油生産量の減少が発生した。様々な情報源がこの時期を経済危機またはモデル崩壊と呼んで いる」[出典]

2016

4 月16日 「マグニチュード7.8の地震がマナビ州とエスメラルダス州の沿岸部を襲う」[出典]

2017

レ ニン・モレノ新大統領就任:「モレノ大統領は、対話と国民和解を呼びかけることから政権を開始し、前任者の政策やスタイルから次第に距離を置く姿勢を示し た。この新たなアプローチは、とりわけ市民参加の強化と、より親しみやすく透明性の高い国家の構築を目指した。また、前政権が対立関係にあった国々との関 係改善を図るなど、外交政策の転換も推進した。エクアドルは、ALBA およびUNASURと いった、ラファエル・コレア政権時代に推進された組織から脱退した」[出典]

2017 -2018年

「2017 年4月2日、与党モレノ候補(前副大統領)と野党ラッソ候補との間で大統領選挙決選投票が実施され、モレノ候補が51.15%を獲得して、大統領に当選し た。また、国会議員選挙では、議会(一院制)の中で国家同盟党(AP)が議席を減らし(100議席から74議席へ)、野党各党が議席を増やした。モレノ政 権は、コレア前政権を継承し、社会的再分配や社会資本整備を重要視するも、原油・一次産品価格低迷の中、ドル化経済の貿易収支の悪化への対応、財政の緊縮 と建て直し、対外債務の再交渉、産業の多角化と外国投資誘致等の課題に対応し、より自由、かつ開放的な経済を目指した。また、2018年2月4日には汚職 対策や憲法改正に関する立場を問う国民投票が実施された」[出典]

2018

「彼 [レニン・モレノ]の政権における重要な成果の一つは、2018年2月4日に実施された国民投票と国民投票の招集であった。この国民投票では、無期限の再 選、市民参加・社会統制評議会の再編、児童・青少年に対する性犯罪の時効廃止、保護地域・無開発地域・都市部における金属鉱業の禁止など、様々なテーマに 関する7つの質問が取り上げられた。その結果、政府が提案した案に対して市民の幅広い支持が示され、モレノ大統領にとって重要な政治的後押しとなり、国の 制度的展望に変化をもたらした。[86]​ 経済面では、モレノ政権は、石油価格の下落とパンデミックによって悪化した、受け継いだ困難な状況に直面した。多国間機関との合意による資金調達を模索 し、経済安定化のための措置を実施した。しかし、この期間中に貧困率と失業率は上昇した」[出典]

2019

2020  ※コロナパンデミックの開始

「2020 年の初めにエクアドルでは、2020年2月29日にマドリードから輸入された最初の症例により、COVID-19のパンデミックがエクアドルに到達したこ とが、消えない痕跡を残しました。[87]​ [88]​この世界的な健康危機は、特に最初の数ヶ月間、同国に壊滅的な影響を与え、医療システムの不備を露呈し、グアヤキルなどの一部の都市では人道的 危機を引き起こしました。政府はウイルスの拡散を食い止めるため、全国的な非常事態宣言と外出禁止令を発令した。パンデミックへの対応は、医療物資の調達 における汚職疑惑も相まって、混乱を極めた」[出典]→「エク アドルにおけるCOVID-19のパンデミック

2021

5 月 ギジェルモ・ラッソ政権

「ギ ジェルモ・ラッソは、経済を活性化し、投資を呼び込み、雇用を創出すること、そして前政権が開始したCOVID-19ワクチン接種計画を継続することを公 約として政権に就いた。実際、彼の政権の最初の取り組みの一つはワクチン接種プロセスの加速であり、就任後100日間で人口の相当な割合に免疫を付与する ことに成功した」[出典]

2021-2023

「2021 年4月の大統領決選投票にて、ギジェルモ・ラッソ候補がコレア元大統領派である希望のための団結(UNES)のアラウス候補に僅差で勝利し、同年5月に大 統領に就任した。ラッソ大統領は、新型コロナワクチン接種計画を積極的に展開し、当初は高い支持率を維持したが、所得増税等を含む税制改革法成立等が影響 し、支持率を落とした。また、少数与党(全議席137議席中12議席)として厳しい国会運営を強いられる中、コロナ禍からの経済回復、2022年6月に起 きた先住民族主導の大規模全国デモ及び同団体との交渉、悪化する治安への対応等、政治運営は困難を極めた。2023年5月、野党勢力による大統領弾劾追求 の結果、ラッソ大統領は国会を解散し、同年8月に実施されることとなった大統領選挙及び国会議員選挙で国民の信を問うこととなった」[出典]

【暴 力犯罪の増加】「政治・エネルギー危機と並行して、エクアドルでは2021年から2023年にかけて暴力と治安の悪化が深刻化した。様々な指標が、殺人率 やその他の暴力犯罪の著しい増加を示しており、これは主に組織犯罪グループや麻薬密売組織の勢力拡大と縄張り争いに関連していた。刑務所でも虐殺や繰り返 される暴力事件が発生した。この治安の悪化は、市民にとって最大の懸念事項の一つとなり、政府にとっては継続的な課題となった」[出典]

2022

2023

5 月「国民議会による解任の可能性が差し迫る中、ラッソ大統領はこれまで利用されたことのない憲法上の手段、「相互解任」に訴えた。2023年5月17日、 ラッソは大統領令741号に署名し、国民議会を解散するとともに、大統領選挙と議会選挙の両方を含む早期総選挙の実施を宣言した。この決定は、憲法第 148条に基づき、自身と国民議会議員の任期を突然終了させ、新たな選挙プロセスにおいて国民に代表者を選出する権限を返還するものであった。選挙は 2023年8月に実施され、必要に応じて10月に決選投票が行われる」[出典]

2023-2025

「2023 年10月、大統領選挙決選投票にて、ダニエル・ノボア候補が左派候補に僅差で勝利し、ラッソ大統領の残りの任期(1年6か月)を引き継いで、同年11月に エクアドル史上最年少の大統領として就任した。ノボア政権では国内の治安改善が喫緊の課題となっている。2024年1月8日、犯罪組織リーダーの脱獄を機 に国内全土を対象に60日間の非常事態宣言を発令し、翌9日には大統領令にて国内が犯罪組織との武力衝突状態にある旨宣言。国内の治安回復に向け、大型刑 務所の建設や国境及び港の取締り強化等を進めている」[出典]

2023 年11月:11月「ラッソ政権は2023年11月、選挙で当選したダニエル・ノボア大統領の就任により終了した。ノボアは、クロスオーバー死の適用後に召 集された早 期選挙で勝利を収め、深刻な治安・経済危機という状況の中で政権を掌握した。これらの課題は、彼の政権運営の大部分を特徴づけるものとなった。政治界の新 人として登場したノボアは、2025年5月までの短縮された任期で大統領職に就いた」[出典]

2024

1 月「政権発足当初の最も衝撃的な出来事の一つは、2024年1月に発生した前例のない暴力の激化であった。国内主要犯罪組織のリーダーであるアドルフォ "フィト"・マシアスの脱走を受け、刑務所暴動、警察官拉致、爆破テロが相次いだ。[95]​ この状況は、グアヤキルにある公共テレビ局TC Televisiónの施設が、生放送中に武装集団による暴力的な襲撃を受けたことで、決定的な局面を迎えた。こうした事態を受け、ノボア大統領は「国内 武力紛争」の存在を宣言し、組織犯罪グループをテロ組織と指定し、軍隊にその制圧を命じた」[出典]

4 月:「ノボア政権は2024年4月21日に実施された国民投票と国民投票を推進した。この国民投票は11の質問で構成され、その大半は治安、司法、雇用に 関する問題だった。提案の中には、軍隊による国家警察への補完的支援、組織犯罪に関連する犯罪の刑罰強化、新たな犯罪の法定化などが含まれていた」[出典]

2025

「2025 年4月、大統領選挙決選投票にて、ダニエル・ノボア現職大統領が左派候補に10ポイント以上の差で勝利し、同年5月、大統領に再任された。引き続き、最優 先課題である治安改善及び公共事業及び民間部門に対する支援等による国内経済の活性化、若者の雇用創出に取組むとしている。また、渇水による水力発電不足 により2024年には長期間の計画停電を余儀なくされたことから、クリーンエネルギーのシステムを構築など、電力マトリックスの多様化を目指す」[出典]

2026

2027

2028

2029

2030

2031+


★ 以下は百科全書的情報(→「エクアドルの先住民」)


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