On S. Zizek's "Violence: Six sideways reflections,"2008
スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949- )による"Violence: Six sideways reflections,"2008(邦訳『暴 力 : 6つの斜めからの省察』 中山徹訳、青土社、2010年)は、従来の古典的な暴力論にくらべて、ある種の、近代暴力観の修正主義(リヴィジョニズム)の内容で、読者にも賛否がわか れるところだろう。それゆえ、このテキストを仔細に検討することが、今日における暴力論の理解にとっては、重要な作業になることは論を待たない。
"The most dangerous philosopher in the West," (says Adam Kirsch of The New Republic) Slavoj Zizek is a Slovenian philosopher and cultural critic. He is a professor at the European Graduate School, International Director of the Birkbeck Institute for the Humanities, Birkbeck College, University of London, and a senior researcher at the Institute of Sociology, University of Ljubljana, Slovenia. His books include "First as Tragedy, Then as Farce;" "Iraq: The Borrowed Kettle;" "In Defense of Lost Causes;" "Living in the End Times;" and many more. - Violence: Six Sideways Reflections (Big Ideas/Small Books) Paperback – Deckle Edge, July 22, 2008.
"'[D]ivine violence' has nothing to do with outbursts of 'sacred madness', with that bacchanalia in which subjects resign their autonomy and responsibility, since it is some larger divine power which acts through them"(Zizek 2009:170).
"If one means by
violence a radical upheaval of the basic social
relations, then, crazy and tasteless as it may sound, the problem with
historical monsters who slaughtered millions was that they were not
violent enough. Sometimes, doing
nothing is the most violent thing to do"(Zizek 2009:183).(→「暴力について考える(サブノート)」)
● 書物紹介
「こうしてわれわれの探求は、円環を閉じるように完結する。われわれ
は、あやまった反暴力を退けることからはじめ、政治的・社会的解放をもたら
す暴力に到達したのである。主観的暴力と戦う一方で、自分が忌み嫌うその現象自体を生み出す、システム的暴力の関与している者たち——われ
われは、そうし
た者たちの偽善から話をはじめた。そして、暴力の究極の原因を隣人に対する恐れのなかに位置づけ、その恐れが、暴力を克服する媒体そのものである言語自体
に備わった暴力にもとづくことをあきらかにした。つづいてわれわれは、こんにちのメディアにとりついた3つのタイプの暴力、2005年のパリ郊外における
若者の暴動、最近のテロ攻撃、ハリケーン・カトリーナがもたらしたニューオーリンズのカオスを分析した。またわれわれは、デンマークの新聞に掲載されたム
ハンマドの風刺画に対する暴力的な抗議に関連して寛容的理性のアンチノミーを
論証し、さらにこれをうけて、こんにちのイデオロギーを支える寛争という支配
的観念の限界をめぐって議論を展開した。最後にわれわれは、ヴァルター・ベンヤミンによって記述された、神的暴力というカテゴリーの解放的な側面に正面か
ら取り組んだ。では、本書から得られる教訓はなにか」(252)。(→「神的暴
力:スラ ヴォイ・ジジェクの暴力論 06」)
章立て
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★First as tragedy, then as farce / Slavoj Žižek, Verso , 2009/ポストモダンの共産主義 : はじめは悲劇として、二度めは笑劇として / スラヴォイ・ジジェク著 ; 栗原百代訳, 筑摩書房 , 2010 . - (ちくま新書, 852)
金融安定化を焦って、世界銀行システムに
何十億ドルもの資金が急いで投入された。ではなぜ、世界的な貧困や環境危機に対処するために、同じ力を働かせることができなかったのか?
この容赦ない分析で、スラヴォイ・ジジェクは現代世界の道徳的失敗を、今世紀最初の10年の画期的な出来事を通じて描き出す。彼が発見したのは、歴史の古
くからのワンツーパンチだ。悲劇というジャブ、茶番という右フックである。9.11同時多発テロと世界的な信用収縮という攻撃の中で、リベラリズムは二度
死んだ。政治思想として、そして経済理論として。
『まず悲劇として、次に茶番として』は、絶望的な歴史的状況に照らして左派が自らを再発明するよう求める呼びかけである。リベラルで道徳的な脅迫の時代は
終わった。
リンク(過去の私の暴力論)
リンク
文献
その他の情報
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099
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