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現前の形而上学

Metaphysics of presence

池田光穂

☆「現 前の形而上学」(ドイツ語:Metaphysik der Anwesenheit)とは、マルティン・ハイデガーが『存在と時間』において提唱した見解であり、西洋哲学の全歴史は、不在よりも現前[=目に見えて あること/存在]を優先させることに基づいているとするものである。[1] 現前と不在の別の訳し方として、実在性[effectivity]と可能性[possibility]がある。つまり、そこに現れていないものを考えるのではなく、現前=そこに確かに存在するものを優先して哲学を始めようとする思惟のスタイルのことである。

Metaphysics of presence (German: Metaphysik der Anwesenheit) is a view held by Martin Heidegger in Being and Time that holds the entire history of Western philosophy is based on privileging presence over absence.[1] Another translation of presence and absence is effectivity and possibility.
「現前の形而上学」(ドイツ語:Metaphysik der Anwesenheit)とは、マルティン・ハイデガーが『存在と時間』において提唱した見解であり、西洋哲学の全歴史は、不在よりも現前[=目に見えて あること/存在]を優先させることに基づいているとするものである。[1] 現前と不在の別の訳し方として、実在性[effectivity]と可能性[possibility]がある。
1. deconstruction

https://en.wikipedia.org/wiki/Metaphysics_of_presence

【差延】

差延(différance) とは、ジャック・デリダ(1930 -2004)が作ったフランス語の新造語である——差異の正書法は difference でありその綴りの2番目のe の母音が a に置き換えられている。これは、テキストと意味の関係を重視する批判的な見解であるデリダの脱構築の概念の中心となるも のである。デリダによると「言葉の意味は、言語内の他の言葉との同期性や、ある言葉の現代的定義と歴史的定義との間の通時性から生まれる」。そのために言 葉の意味は、他の言語との同期性との検討や、その現代的定義と歴史的定義の「違い」から、本来もっていたかのような「それまでの意味」が解体される。つま り「脱構築(déconstruction)」される、というのだ。

【脱構築】

デコンストラクション(脱構築)は、もと もと、ハイデガー『存在と時間』(1927)で、形而上学的伝統を解体(Destruktion)する必要があると主張した。ハイデガーのフランス語訳 は、解体=Destruction(→破壊)とされていたが、デリダは、ハイデガーのもともとの趣旨を組んで、その単語をずらして脱—構築 (Déconstruction)と読み替えたのである。つまり造語した。デリダによると、ハイデガーは、存在論の歴史を解体する方向にむかった、存在論 そのもの解体をなしとげたわけではない。さて、このようなデリダの造語癖は『グラ マトロジーについて』(1967)の差延(Différance)という用語に淵源する。ソシュールの 言語学(シニフィアンとシニフィエ)に刺激を受けて、西洋形而上学の基本的な考えを批判した。これが、プラトン流のリアリズム(=事物の本質は抽象的なも の=イデア的世界にある)である。このような意味の世界は、自己充足しており、あるがままでなにもそれ以外のものを必要としない。この見解こそ「現前の形 而上学(Metaphysics of presence)」 そのものである。このルーツは、先に触れたハイデガー『存 在と時間』のなかにあるアリストテレスの存在論である。アリストテレスの時間論では、その瞬間瞬間に事物が存在する=現前するものが時間である。デリダは 次のように書く;"Without a doubt, Aristotle thinks of time on the basis of ousia[ウーシア=実体・本質] as parousia[パルーシア=到来], on the basis of the now, the point, etc. And yet an entire reading could be organized that would repeat in Aristotle's text both this limitation and its opposite."(Ousia and Grammē: Note on a Note from 'Being and Time,'" in Margins of Philosophy (1972), 29–67: 61) →「間違いなく、アリストテレスは時間を、ウーシア(本質)の観点から、あるいはパルーシア(現前)、現在、一点といった観点から捉えている。しかし、ア リストテレスのテキストにおいて、この限定とその対極の両方を繰り返すような解釈を、一通り構築することも可能だろう。」

形而上学

形而上学(Metaphysics) は、現実の基本的構造を考察する哲学の一分野である。形而上学はしばしば第一哲学と呼ばれ、他の哲学的探究よりも根本的であることを意味する。形 而上学は伝統的に、世界の心に依存しない特徴を研究する学問とみなされてきたが、現代の理論家の中には、人間の思考や経験の根底にある概念スキームを探求 する学問と理解する者もいる。形而上学の起源は古代にあり、古代インドのウパニシャッド、古代中国の道教、古代ギリシャのソクラテス以前の哲学に見られる ような、現実と宇宙の本質につ いての思索があった。続く西洋の中世では、古代ギリシアの哲学者プラトンやアリストテレスによって形作られた普遍の本質が議論された。近代になると、さま ざまな包括的形而上学体系が登場し、その多くが観念論を取り入れた。20世紀から現代にかけて、「観念論への反乱」が起こり、形而上学は一度は無意味とさ れたが、それ以前の理論に対するさまざまな批判や形而上学的探究への新たなアプローチによって復活した。

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