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サイエンス

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解説:池田光穂

スティーブン・シェイピン(Steven Shapin, b1943- )は、科学という言葉を次のような懐疑的なアプローチで表現している(Shapin 2005=2011:477)。

「私たちの文化で使用される言葉のなかに は、その指示する対象があまりにも高く評価されているために、確固とした対象指示をほとんどできな いものがある。たとえば「現実」「理性」「真理」という言葉を考えてみよ。そして、現実、理性、真理の名のもと、もっとも権威的に語る下位文化(=サ ブカルチャー)を意味する言葉といえばなにか——それは科学(science) である」(Shapin 2005=2011:477)。

まったくそのとおりである。

解説者による註釈

非常に保守的なサイエンス(科学)の定義→「科学」より

★科学(あるいはサイエンス)とはなに か?→科学とは、厳格な体 系的な学問であり、世界に関する検証可能な仮説や予測という形で知識を構築し、体系化するものである。

★ 現代科学は一般的に、物理的世界を研究 する自然科学 (物理学、化学、生物学など)、個人や社会を研究する社会科学(経済学、心理学、社会学など)、公理や規則によって支配される形式的なシステムを研究する 形式科学(論理学、数学、理論計算機科学など)の3つの主要分野に分けられる。形式科学は経験的証拠に依拠しないため、科学分野であるかどうかについては 意見が分かれている。応用科学は、工学や医学など、科学的な知識を実用的な目的で使用する分野である。

★ 科学の歴史は、歴史記録の大半を占めて おり、現代科学の明確な先駆者と特定できる最古の記録は、紀元前3000年から1200年頃の青銅器時代のエジプト とメソポタミアにまで遡る。数学、天文学、医学への彼らの貢献は、古典古代のギリシャ自然哲学に影響を与え、形作っていった。これにより、自然現象を原因 として物理世界の出来事を説明しようとする試みがなされるようになった。一方、インドの黄金時代には、ヒンドゥー・アラビア数字の導入を含むさらなる進歩 が遂げられた。これらの地域では、西ローマ帝国滅亡後の初期中世(400年から1000年)に科学研究は衰退したが、中世ルネサンス(カロリング朝ルネサ ンス、オットー朝ルネサンス、12世紀ルネサンス)において学問は再び栄えた。西ヨーロッパで失われた一部のギリシャ語写本は、イスラム黄金時代の中東で 保存され、さらに発展した。また、ビザンチン帝国のギリシャ人学者たちが、滅亡しつつあったビザンチン帝国からギリシャ語写本を西ヨーロッパに持ち込み、 ルネサンスの幕開けに貢献した。 10世紀から13世紀にかけて、ギリシャの作品の復興と西欧への同化、およびイスラム教の探究により、「自然哲学」が復活した。その後、16世紀に始まっ た科学革命により、新たなアイデアや発見が従来のギリシャの概念や伝統から離れ、自然哲学は変容した 科学的手法は、知識の創造においてより大きな役割を果たすようになり、「自然哲学」が「自然科学」へと変化する中で、科学の制度や専門的特徴の多くが形作 られ始めたのは19世紀に入ってからであった。

★ 科学における新たな知識は、世界に対す る好奇心と問題解決への意欲に突き動かされた科学者たちの研究によって進歩する。現代の科学研究は高度に協調的であ り、通常は学術・研究機関、政府機関、企業などのチームによって行われる。 彼らの研究がもたらす実用的な影響により、商業製品、軍備、医療、公共インフラ、環境保護などの倫理的・道徳的発展を優先させることで科学事業に影響を与 えようとする科学政策が誕生した(→「科学とはなにか?」)。

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